読んだら3倍考えるビジネス書評ブログ

著名コンサルタントの大前研一さんは、本を読んだら読んだ時間の3倍考えろと指導されているそうです。

自己啓発の本

あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。

更新日:

「あ、『やりがい』とかいらないんで、とりあえず残業代ください」たとえば会社のキャリア面談で、上司に対してこう言ったとしたら、どうなるでしょうか。

そんな疑問文ではじまる本書には、日本人の "Karoshi" につながりそうな論点を包括的に挙げた本です。小学校のときの将来の夢が「将来の職業」になりがちなところから始まって、就職活動で「残業時間はどれくらいですか?」となかなか聞けないことなど、働かないことがタブーとされる日本の風潮に問題提起をしている本です。

意味のない長時間労働が常習化する原因についての論点は、ほぼ網羅されていると感じています。一方で、少し言いすぎな部分もあります。中立的な意見や私の個人的な意見を踏まえて、筆者の意見に補足・反論していこうと思います。筆者は新卒の就職活動をしていないようですが、私は全学生の中でも最も就職活動に力を入れていた部類ですから、また違った視点を提供できるのではないかと感じています。

本書の概要|社畜が生まれる構造をシニカルに描いた1冊

書名: あ、「やりがい」とかいらないんで、とりあえず残業代ください。
著者: 日野 瑛太郎
出版社: 東洋経済新報社
出版年月: 2014年1月

著者紹介

日野瑛太郎さん

1985年生まれ。東京大学工学部卒業。東京大学大学院工学系研究科修士課程修了。大学院在学中、就職するのが嫌でWebサービスの開発をはじめ、それがきっかけとなって起業をするが、あえなく失敗。結局、嫌で嫌で仕方がなかった就職をすることになる。経営者と従業員の両方を経験したことで日本の労働の矛盾に気づき、「脱社畜ブログ」(http://dennou-kurage.hatenablog.com/)を開設。ブログはたちまち月間約50万PVの有名ブログになり、現在も日本人の働き方に関する意見を発信し続けている。著書に『脱社畜の働き方』(技術評論社)がある。

出典:日野瑛太郎「あ、『やりがい』とかいらないんで、とりあえず残業代ください。」2014年。

東京大学卒の新卒起業からのアフィリエイターという経歴の方です。労働や雇用に関する評論家というよりは、労働や雇用を面白おかしく書くエッセイストという印象です。

本書の内容|教育が社畜を生み出し、実力不足が社畜に縛り付ける

レビューというものは、書籍の内容を踏まえたうえで行うべきだと考えております。まずは本書の内容をいくつか引用させていただいたうえで、それに対する同意や反論をしたいと思います。

第1章 あ、今日は用事があるんで定時に失礼します。

有給休暇が取りづらいという論点が挙がっています。

有給休暇が取りづらいのは、本人に実力がないから

そうやって周囲に合わせて有給休暇をとらないでいると、組織内に「有給休暇をとらないのが当然」という空気ができあがります。そういった空気が一度できてしまうと、ますます有給休暇の取得は困難になります。このように、職場内に発生した雰囲気のせいで有給休暇取得を躊躇してしまっている、という人はとても多いことでしょう。

出典:日野瑛太郎「あ、『やりがい』とかいらないんで、とりあえず残業代ください。」2014年。

この論点について、著者は当然の権利なのだから有給休暇の取得を妨害する会社はけしからんと書いております。しかしながら、私は少し違う見方をしました。

本書内にも書かれてはいるのですが、有給休暇については「不許可になった」という例があるわけではなく「取りづらい」と表現されているのです。要するに、有給休暇を申請できないのは自分自身せいであって会社のせいではありません。堂々と申請をすればよいだけです。

ここにおいて、1つ重要な論点が隠れています。「社内の評価は相対評価である」という論点です。要するに、同期に勝つためには残業しないと、同期に負けないためには有給休暇を取っている場合じゃない、という暗黙の恐怖があるのです。おそらく有給休暇が取りづらいと思うのは、自分の能力に自信がないからでしょう。

この点については、実は本書の最終章でもしっかりと議論されています。

社会人という言葉は、社畜を生み出しているのか?

本書には面白い論点が挙げられています。

「社会人」という言葉は、日本ではとても一般的な言葉です。しかし、日本以外の国では、この「社会人」という言葉にピッタリとあてはまるような言葉はほとんど存在しません。

(中略)

「働いている人」に「社会人」なんて大げさな名前をつけてしまうのは、「自分で働いてお金を稼げない人は社会の一員ではない」と言っているようで、僕はなんだか嫌な気分になります。

出典:日野瑛太郎「あ、『やりがい』とかいらないんで、とりあえず残業代ください。」2014年。

この視点には面白さを感じました。確かに、働いている人を「社会人」と呼ぶのは大げさかもしれません。

しかし、私は社会人を「働いている人」という意味で使ってはいませんでした。あえて定義するなら「成人のうちで学生でない人」という意味です。高校生起業家や学生起業家を社会人と呼ぶことはありませんし、いわゆるNEETのことは社会人と呼んでいます。少なくとも私はそうです。

このため、面白い視点ではあるものの、「社会人」という表現をそれほど深読みする必要はないと思います。

敷かれたレールから外れるなら、覚悟を決めるべき

著者は敷かれたレールという考え方を危険視しています。

「敷かれたレールの上をただ走るだけの人生なんてつまらない」と言う人は結構いますが、日本社会で敷かれたレールを外れるという行為は、非常に危険な行為なのです。

(中略)

日本社会ではいったんレールを外れてしまうと、急に人生がハードモードに切り替わります。これについて、レールを外れた人を責めるのはお門違いです。人それぞれさまざまな価値観があるのですから、いろんな人生があっていいのは当然です。

出典:日野瑛太郎「あ、『やりがい』とかいらないんで、とりあえず残業代ください。」2014年。

レールを敷かれていることが悪いことかのように書かれることが多いですが、私は必ずしもそうは思いません。自分で自分のゴールを見つけ出すことができないのなら、社会が決めたルールに沿って生きればよいのです。このため、敷かれたレールに沿って生きていけるというのは、弱者に優しい日本らしい慣習だといえます。

一方で、レールを外れた人が責められるべきではないという著者の意見には反対です。著者の言っていることは論理的には正しいのですが、合理的には正しくありません

敷かれたレールというのは、弱者に対する社会からのバックアップなのです。レールを外れると人生がハードモードになるというよりも、レールの上が特別にイージーモードなだけです。敷かれたレールから外れるからには、社会からのバックアップを受けずに生きていくという覚悟と責任を持つ必要があります。

もちろん、もう少しレールの本数を増やして分岐点を作ってもよいとは思います。

第2章 いえ、それは僕の仕事じゃないんで。

終身雇用・年功序列は、従業員のためのものではありません

終身雇用の本質について理解していない人が多すぎるように思います。

1990年代に入ると、この終身雇用・年功賃金といった日本的雇用システムの存続があやしくなってきます。バブル景気の崩壊をきっかけとして、それまではどんなダメ社員でもクビにすることがなかった会社も、業績の悪化を理由に人員整理を行うように変わりました。また、経済のグローバル化も進み、企業間の競争はどんどん激しくなってきています。こういう状況で、数十年先の安定した経営が保証できるような企業は、もはやどこにもありません。

出典:日野瑛太郎「あ、『やりがい』とかいらないんで、とりあえず残業代ください。」2014年。

この著者もそうですし、多くのニュースメディアなどもそうなのですが、終身雇用が従業員のためのシステムだと勘違いされているケースが多いです。

終身雇用の本質は「社畜を生み出す仕組み」ですから、完全に経営者や株主に都合の良い仕組みであって従業員のための仕組みではありません。少し考えてみましょう。

もしあなたが創業経営者であり、会社のために人生をささげる「社畜」を生み出そうとしたらどのような制度を作りますか?

私なら「年功序列」という仕組みを作ります。若いうちの給与をあえて低く、将来の給与をあえて高く設定するのです。こうすれば、従業員は会社から逃げられなくなり、会社内で高い評価を得ようと努力をするはずです。

しかし、容易にリストラできる環境なら話は変わります。「人生をささげても報われない可能性があるから人生はささげない」という従業員が生まれてしまうのでしょう。そこで登場するのが終身雇用です。終身雇用にすることで年功序列を正当化し、年功序列によって「社畜」を生み出します。「社畜」となった従業員は、その会社でしか活用できないスキルもどんどん身に着けてくれますし、会社に異議を唱えるようなことはしなくなるのです。

これが終身雇用と年功序列の本質です。[1]ちなみに、経営学などでは、高度経済成長期の日本が成長した理由を学ぶ文脈で年功序列のシステムが登場します。そこでは、特定の企業でしか利用できないスキルを身に着けさせるために、経営者が年功序列・終身雇用というシステムを導入したと説明されます。そして、特定の企業の特定の製品を作る技術を極限まで高めた労働者が量産されて、彼らが高度経済成長期の日本の製造業を支えてきました。ITが発達して、商品の移り変わりが早くなったとたんに、このような「生涯をささげて特定の製品を作る技術を高める」という方法が通用しなくなりました。いまの日本企業が苦戦しているのはこのためです。

第3章 はい、将来の夢は毎日ゴロゴロ寝て暮らすことです!

将来の夢が職業であることに対して問題提起がされています。

将来の夢が専業主婦でも、問題ありませんでしたよ?

「パイロットになりたい」とか「美容師になりたい」といったような、具体的な職業を書けば教師は褒めてくれますが、「毎日ゴロゴロ寝て暮らしたい」とか、「かわいい女の子にちやほやされたい」というようなことを書こうとすると、注意されたり書き直しを命じられたりします。

出典:日野瑛太郎「あ、『やりがい』とかいらないんで、とりあえず残業代ください。」2014年。

これは面白い視点です。私自身も、たしか小学生のときの夢には「裁判官になって犯罪者に制裁を与えたい」などと書きました。

しかしながら、私の記憶が正しければ「将来の夢はお嫁さん」のような、働く意思が微塵もない夢を書いても怒られていなかったように思います。

もっと言えば、私のように「制裁を与えたい」と書いた児童や「証券会社のトレーダーになってお金を稼ぎたい」と書いた児童のほうが、むしろ「扱いづらい生徒」という評価でした。非常に明確なビジョンを持っているのにもかかわらずです。

おそらく、職業を書くとよいのではなく、小学校の教師にとって理解しやすく突っ込みどころの少ない夢を書くと褒められるだけではないでしょうか。

大学生は就活するのが合理的なのです

「どうすれば就職活動に有利になるか」ばかりを考えて学生生活を送っている人たちもいます。

こういった人たちは就活でウケそうなアルバイト(インターン)をしながら、ビジネスコンテストの運営や就職活動を支援する学生団体に所属し、講義にも出ずに会社員との交流会やビジネスの勉強会にのめり込んでいます。

大学1年生のうちからスーツを着て大学にやってきて、学生団体の名前が入った名刺を作り、徹夜でよくわからないタスクをこなし続けている彼らを見ていると、「大学生なのにもう社畜みたいだなあ」と思わずにはいられません。

出典:日野瑛太郎「あ、『やりがい』とかいらないんで、とりあえず残業代ください。」2014年。

私がまさにこういった学生でした。

ただ、誤解しないでいただきたいのは「これが大学生のあるべき姿だ」と考えてこのような行動をとっている人はわずかなのです。多くの場合で、「日本という国で生き残るためにはこうするしかない」というような強迫観念にせまられて就職活動をしています。ほかの学生よりほんの少し先見の明があるだけです。不真面目に授業をさぼっていたわけではありません。

また、文科省や経団連と同じく、この著者も「勉強せずにインターンをやっている。けしからん。」というのですが、インターンをやっていない人が勉強をしているとは限らないのです。

大学生には3つの人種がいて、勉強をしている人、就活をしている人、遊んでいる人です。圧倒的多数派は3番目の遊んでいる人です。就活をしている人が就活で有利となり、勉強している人が相対的に不利になっている日本の就職活動が健全だとは思いませんが、まずは遊んでいる人を矯正すべきなのにといつも思っていました。

社畜みたいな学生ほど社畜になりません

就職活動の過酷さは、著者が下記のように書いているとおりです。

人によりますが、実際に内定をもらうまでには、50社から100社ぐらいは受けなければならないということも珍しくはありません。それだけ、就職活動における採用試験は競争が激しいものになっています。

50社から100社程度受けないと内定にいたらないということは、就活生が企業から受け取るのは基本的には不採用通知ということになります。

出典:日野瑛太郎「あ、『やりがい』とかいらないんで、とりあえず残業代ください。」2014年。

1つ前に挙げた「遊んでいた人」は確かに50社ほど受けないと内定が獲得できないかもしれません。

国内では最も就職活動に強い大学[2]私の母校である慶應義塾大学は、就職活動にきわめて強い大学の1つです。理由の1つには、教養などをきちんと身に着けているお金持ちの家庭が多いということが挙げられます。音楽や絵画、書道などにたけていることが仕事に役立つかはともかく、教養ある人間が就活で好まれがちなのは否めません。それほどお金持ちではない学生は、多くが惜しくも東京大学に受からなかったという学生です。彼らは就職では見返してやろうと考えており、比較的精力的に就職活動に取り組みます。これらをバックアップするのが強力なOB組織です。慶應義塾大学の学生だというだけで、いつ誰に聞いても丁寧に面倒を見てくれます。ですら20社くらいはエントリーしているようでしたから、一般的な学生が50社にエントリーしていてもおかしくはないでしょう。

このような「数えきれないほどの拒絶」を受けるのがあたりまえの状況では、自分のことを「選んでくれた」企業に対して、特別な好意のようなものを抱いてしまうこともわからなくはありません。

「50社、60社と落とされ続けた自分を拾ってくれた◯◯社には、とても感謝しています。精一杯働いて、恩返しをしたいです」

出典:日野瑛太郎「あ、『やりがい』とかいらないんで、とりあえず残業代ください。」2014年。

そして、不採用通知を受け続けた学生が「恩義のルール」に基づいて、社畜化していくという話です。

確かにその側面はあるでしょう。しかし、これは1つ前の項目と矛盾しますね。

学生団体の名前が入った名刺を作り、徹夜でよくわからないタスクをこなし続けている彼らを見ていると、「大学生なのにもう社畜みたいだなあ」と思わずにはいられません。

出典:日野瑛太郎「あ、『やりがい』とかいらないんで、とりあえず残業代ください。」2014年。

こういう学生の多くはあっさり内定を獲得するので社畜化しなくなります[3]私自身もこういう学生でしたが、受けた企業すべてから内定を獲得したうえで、世界でも最も人気のある企業の1つに入社を決めました。感謝の気持ちがないわけではありませんが、恩義ではなく責任感から役割を果たすだけです。あくまで企業とは対等であり、不満があればいつでも転職するつもりなので社畜とは少し違います。

結局、社畜みたいな人が社畜にならずに済み、社畜みたいな学生を見下して遊んでいた学生が社畜化するのです。

積極的に社畜になる人ほど社畜にならずに済むという逆説的な環境担っているのです。

結局のところ、この章で述べられているのは「働きたくない」という考えだけです。将来社畜になりたくないからいま努力をするとか、そういった対策は書かれていないのです。

第4章 えー、「従業員目線」で考えますと……

社畜=やりがいではありませんよ

この本では何度も書いてきましたが、日本では仕事に関して「やりがい」を重視する風潮がとても強いです。

学校でも、あるいはテレビや雑誌でも、「やりがい」のある仕事につくことはすばらしいことだと言われます。「好きで好きでしょうがないことを、職業にしよう」というフレコミの本がベストセラーになったりもしました。

出典:日野瑛太郎「あ、『やりがい』とかいらないんで、とりあえず残業代ください。」2014年。

私個人の経験から言えば、こんなことはありません。

確かに、日本の就活市場では「やりたいこと」を仕事にする風潮が強く、「得意なこと」を仕事にしようとする学生は少数派です[4]得意なことを仕事にしないのは、多くの場合で、遊んできた学生には宴会芸以外の特技がないことに由来します。それこそ1年生からインターンや学生団体で尽力してきた学生には仕事に得意分野があり、得意なことを仕事にできます。。しかし、いわゆる社畜の進路を選ぶ学生は、やりたいことがないから社畜を選ぶのです。

夢を語って、やりがいを見出して仕事を選ぶ人は、スタートアップに就職したり外資系企業に就職したりする傾向があります。そして、スタートアップや外資系企業は人材の流動性が高く[5]転職や中途採用が多く、従業員の入れ替わりが激しいことを人材の流動性が高いといいます。流動性とは、もともとは現金化のしやすさを表す経済学用語です。住宅や土地などは現金化しづらい「流動性の低い」資産であり、銀行預金などは現金化しやすい「流動性の高い」資産です。、したがって社畜化しにくい環境です。

やりがいを求める学生ほど社畜化しにくく、「やりがい」という言葉を使っているだけの学生ほど社畜化しやすいといえるでしょう。

自分の市場価値を向上させることが、社畜化を防ぐ最善策です

著者は、会社を取引先としてとらえて距離を置くべきだと考えているようです。

自分を雇ってくれるような会社がどこにも存在せず、結局今の会社にしがみつく以外に道がないようでは、会社と対等に交渉などできません。会社の言い分をすべて呑むしかなくなってしまいます。

こうなってしまっては、会社と「取引先」として対等につきあうようなことなど不可能です。

いざとなったら他の会社に移れるだけの力をつけるには、つねに自分の労働市場における価値を「客観的に」把握しておかなければなりません。その上で、戦略的にキャリアデザインをしていく必要があります。

出典:日野瑛太郎「あ、『やりがい』とかいらないんで、とりあえず残業代ください。」2014年。

この考え方は非常に有意義です。

この書籍は、全体として社畜の傷のなめあいを助ける内容が書かれており、これでは脱社畜はかなわないと感じました。しかし、最後の最後では非常に的を射た議論がされています。

私が一貫して述べているとおり、学生のうちから力をつけた人ほど社畜にはなりづらいのです。会社員も同じです。実力をつけて企業に対する交渉力が強い人ほど社畜化しづらいはずです。

会社に不満がある、もしくは、社畜になりたくないという人はまず実力をつけるべきでしょう。最初は些細なことからでもよいはずです。語学力やパソコンスキルを少しつけるだけでも交渉力は上がります。

転職はみなさんが思っているほど難しくありません。日々多くの人が職業を変えています。しかし、その権利があるのは実力のある人なのです[6]。しっかりと実力をつけて社畜を卒業しようというのがこの本の論点でした。

やりがいとかいらないんで残業代ください こんな読者におすすめ

本書は単に「社畜あるある」を書いた本ではなく、そこからスキルアップの必要性を説く内容になっています。

社畜になりかけているけれどまだ社畜になっていないという方におすすめです。面白おかしく誇張されて書かれてはいますが、ところどころは本質的な指摘があると思います。特に、本書の結論である「社畜にならないためには、会社を取引先に見立てる必要がある。そのためには、取引先を変える準備をしておかなくてはならない。」という点については、学ぶべき方も多いのではないでしょうか。

社畜になりそうでまたはなってしまっていて悩んでいる方は、本書を読んで問題点を整理し、(実際に転職するかは別として)いつでも転職できる状態を目指すと良いと思います。

Footnotes   [ + ]

1. ちなみに、経営学などでは、高度経済成長期の日本が成長した理由を学ぶ文脈で年功序列のシステムが登場します。そこでは、特定の企業でしか利用できないスキルを身に着けさせるために、経営者が年功序列・終身雇用というシステムを導入したと説明されます。そして、特定の企業の特定の製品を作る技術を極限まで高めた労働者が量産されて、彼らが高度経済成長期の日本の製造業を支えてきました。ITが発達して、商品の移り変わりが早くなったとたんに、このような「生涯をささげて特定の製品を作る技術を高める」という方法が通用しなくなりました。いまの日本企業が苦戦しているのはこのためです。
2. 私の母校である慶應義塾大学は、就職活動にきわめて強い大学の1つです。理由の1つには、教養などをきちんと身に着けているお金持ちの家庭が多いということが挙げられます。音楽や絵画、書道などにたけていることが仕事に役立つかはともかく、教養ある人間が就活で好まれがちなのは否めません。それほどお金持ちではない学生は、多くが惜しくも東京大学に受からなかったという学生です。彼らは就職では見返してやろうと考えており、比較的精力的に就職活動に取り組みます。これらをバックアップするのが強力なOB組織です。慶應義塾大学の学生だというだけで、いつ誰に聞いても丁寧に面倒を見てくれます。
3. 私自身もこういう学生でしたが、受けた企業すべてから内定を獲得したうえで、世界でも最も人気のある企業の1つに入社を決めました。感謝の気持ちがないわけではありませんが、恩義ではなく責任感から役割を果たすだけです。あくまで企業とは対等であり、不満があればいつでも転職するつもりなので社畜とは少し違います。
4. 得意なことを仕事にしないのは、多くの場合で、遊んできた学生には宴会芸以外の特技がないことに由来します。それこそ1年生からインターンや学生団体で尽力してきた学生には仕事に得意分野があり、得意なことを仕事にできます。
5. 転職や中途採用が多く、従業員の入れ替わりが激しいことを人材の流動性が高いといいます。流動性とは、もともとは現金化のしやすさを表す経済学用語です。住宅や土地などは現金化しづらい「流動性の低い」資産であり、銀行預金などは現金化しやすい「流動性の高い」資産です。

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